スキエンティア

第十一話 オレンジのタルトと古いセロ

作者:饗庭璃奈子(あいばりなこ)
比率:♂2♀1
時間:約15分

女神は微笑む。三つの掟を守りさえすれば。
誰もが強烈な死の体験を抱えるスキマの国、スキエンティア。閉ざされた世界の秘密を解き明かすために足掻き続ける人々は、その先に何を見出すのか。

《これまでのあらすじ》
スキエンティアに落とされた青年・メグミは、〝救世主〟と呼ばれることを重荷に感じながらも、オズ博士と天使憑きの少女・モニと共に暮らしている。スキエンティアのあちこちで起ころうとしている変化。その是非を計り兼ねて、メグミは惑っていた。

※Skype上での声劇・ニコニコ生放送などで、ご自由にお使い下さい。
※企画などでご使用になる場合は、まずはご連絡下さい。

メグミ・モリモト(森元 恵) 22歳の日本人で、元・軍人。生真面目。ニールセンの古道具屋で働きながら、オズにお弁当を運ぶのが仕事。〝救世主〟と呼ばれる。絵に描いたような好青年を装うも、自分を嫌うウロに対してはやや毒舌。
オズ・ナツオ(小津 夏生) Project Ozの第一人者で、物腰の穏やかな老人。美しい白髪と優しい銀色の瞳を持ち、常に白衣を身に纏っている。周りからは博士と呼ばれる。見た目通りに優しく聡明だが、妙なところで無精で抜けている。
モニ(ハルモニ) 白髪に紅い瞳を持つ、純白の少女。推定年齢4〜5歳。感情の起伏に乏しく、一人で過ごすのが上手い。自らの名前すらわからないままスキエンティアに発現し、オズに拾われる。天使憑きだが、自覚はない。
No.517 モニに憑いている天使。人格は少年。モニと肉体を共有しており、失敗作として廃棄される。517番目の天使になるはずだった。人間のことを虫けらだ、害悪だと見下すが、モニのことは愛しているらしい。
フレデリック・ニールセン 53歳。いつもパイプをふかしている、古道具屋の店主。灰色の髭を口元と顎にたっぷりと蓄えている。頑固者で言動が荒く、外見もいかついが、イアンのことは実の息子のように可愛がっていた。
名前だけ登場する人物
ウロ ストレートの黒髪を持つ、冷めた印象の女性。メグミと同じくらいの年頃。Project Ozの研究者の一人。オズとモニにだけは心を開いている。過去の記憶がなく、右目が見えていない。メグミを敵視するが……?
メグミ

(表題)「スキエンティア 第十一話 オレンジのタルトと古いセロ」

《水車小屋にて》

メグミ

あーあ、仕事のある生活に慣れちゃうと、休みの日は退屈で仕方ありませんね。
お菓子作りでもしてないとやってられませんよ。

モニ(?)

今日のおやつ、なあに?

メグミ

オレンジのタルトです。モニ、好きでしょう。

モニ(?)

……オレンジ?

メグミ

ええ。どうかしましたか?

モニ(?)

……なんで、オレンジなの。

メグミ

え、

モニ(?)

オレンジ、もう飽きた。

メグミ

で、ですが、もう作ってしまいましたし……。

モニ(?)

ねえ、別のにして?別のじゃないとモニ、いや!

メグミ

モ、モニ……!すみません。でもそういうわがままはあまりよくないのでは……。

No.517

……なーんちゃって。

メグミ

って、お前、天使か……。紛らわしいことするなよ。

No.517

あはは、すみません。こうして人間のことをからかうのは面白くって。
ナツオも最初の頃はよく騙されてくれたものですが、最近はすぐに見抜かれるようになってしまいました。実につまらないです。

メグミ

……もう僕の前には現れないのかと思っていましたよ。タルト、食べますか?

No.517

ええ、いただきます。あなたのオレンジのタルト、ボクの大好物なんです。
勿論、他の料理も美味しくいただいていますが。

メグミ

〝モニ〟である間も、君の意識はあるんですね。

No.517

はい。もっとも身動きは取れませんから、オブラート越しに世界を傍観しているような感じ、ですかね。──いただきます。

メグミ

どうぞ。よかったら紅茶も。
アールグレイです。ベルガモットの香りが、オレンジのタルトによく合うんですよ。……あれから僕がモニを通じて何度も君に呼びかけていたの、わかっていましたよね。

No.517

勿論。

メグミ

何故、応えてくれなかったんです。

No.517

言ったでしょう。ボクの力は弱いんです。表に出たくても、出られなかったんですよ。

メグミ

それではどうして突然、僕の前に?

No.517

今日はちょっと、ボクの世間話に付き合っていただこうかと思いまして。

メグミ

……構いません。

No.517

ありがとうございます。それでは早速本題に入りましょうか。
以前にも言った通り、ボクはひとつの体に二つの自我を持つ、出来損ないの天使です。端的に言ってしまえば、異形──レア・ケースといったところでしょうか。

メグミ

そうおっしゃっていましたね。

No.517

不完全な天使ですので、当然力も弱い。更に言えば、年々ボクの力は衰え続けているのです。

メグミ

衰えている?

No.517

ナツオと出会った頃、ボクはまだ自分の意のままに二つの自我を操ることができた。好きな時に好きなだけ、彼女と入れ替わることができたのです。
しかし今はこの通り、ボクが表に出ていられる時間はごくわずかだ。とはいえ、ボクと彼女はシャム双生児のように複雑怪奇に結び付いていて、切り離すことは決して叶わない。

メグミ

つまり、何を言いたいんです。

No.517

このままボクの力が衰え、無に帰せば、いずれはボクか彼女、どちらかの自我が失われる。

メグミ

No.517

どちらかの人格が死ななくてはならない──といえば、わかりやすいですかね。
そしてその時は、そう遠くはない。

メグミ

一体どちらが、死ぬんです。

No.517

消えてなくなる人格はボクになることを、初めから決めています。そのためにずっと、準備を整えてきた。事実、ボクの自我は随分と薄れ、息を潜めつつあるでしょう?この肉体はもうほとんど、彼女のものであると言っても過言ではない。

メグミ

どうして、その選択を?

No.517

ボクがこの少女を、愛しているからですよ。

メグミ

……。

No.517

メグミ。ボクはね、ボクと彼女を救ってくれたナツオに恩義を感じている。恩人であるナツオ、そしてナツオが愛するスキエンティアの人々を、絶望させたくはない。彼らには正しい答えを、導き出して欲しいのです。だからあなたに、ヒントを与えることにしました。ボクと出会って、あなたはいろいろと考えさせられたでしょう?

メグミ

……そうですね。多くを考え、悩みました。

No.517

それでいいのです。人とは可愛い生き物だ。存分に回り道をすればいい。
その過程で得るものもまた、大切な糧です。

メグミ

……人間を、見下しているのではなかったのですか?

No.517

ええ、下等な生物であると思っていますよ。実に愚かで、あさはかで、弱く──だからこそ愛しいのです。メグミ、あなたのこともね。

メグミ

No.517

メグミ。ボクが消えても、どうか彼女のことをお願いします。あなたならそれが叶うはずだ。

メグミ

どうしてそこまでして、モニのことを……?

No.517

さあ、どうしてでしょうね。ボク自身にもよくわかりません。人の子と肉体を共有していたから心まで人間に近づいてしまったのか、或いは出来損ないの天使にも、情と呼べるものくらいはあったのか。今となっては定かではありません。

メグミ

初めこそ、僕は君の言動に怒りを覚えましたが──こうして言葉を交わした今、僕には君がそんなに悪い奴であるようにはどうしても思えないんです。
寧ろ、人々のために誰よりも苦しみ、自らを犠牲にしているようにさえ思える。
進んで悪者を買って出ている、とでも言いますか……。

No.517

光栄なお言葉ですね。ですがそれは、あなたの思い違いです。
──タルトと紅茶、ごちそうさまでした。とても美味しかったです。それではボクはそろそろお暇しますね。……さよなら、メグミ。

メグミ

!、──待て、まさかお前……!

モニ

!(モニの意識が戻る)
……?、メグミ?どうしたの?

メグミ

──いえ。何でもありませんよ、モニ。すみません。

メグミ(M)

僕がその時天使を呼び止めようとしたのは、何故だかもう二度と、彼に会えないような気がしたからで、そんなのは気のせいに違いないと、必死で自分に言い聞かせた。訊きたいことは、山のように残っている。大丈夫。僕にはまだ、たっぷりと時間が残されている──。

***

《ニールセンの古道具屋にて》

ニールセン

よし、そっちの片付けは済んだな。だいぶ手際がよくなってきたじゃねえか。

メグミ

ありがとうございます。

ニールセン

そんじゃ、次は二階を頼む。

メグミ

わかりました。

メグミ(M)

そういえば、ここの二階に上がるのは、初めてだな……。

ニールセン

おめえに頼みたいのは、この一角だ。よくわからねえガラクタだらけだが、まあよきに計らってくれ。やんなきゃならねえことは、もうわかるな。

メグミ

はい。……あ、

ニールセン

ん?どうした?

メグミ

あれって……セロですよね。

ニールセン

ああ、あのでっかいのか?俺は知らねえな。

メグミ

あの、あれは一体誰が、ここにお持ちになったんですか?

ニールセン

さあなあ。ここに集まってくるのは、この世界に落とされた奴の身につけてたもんとか、女神様のお迎えに導かれた者の形見とか、そんなもんばっかりだからよ。多すぎて、いちいち覚えてられやしねえ。で、一体何なんだ?ありゃあ。へんてこな形をしてやがるな。

メグミ

楽器です。こう、弓で弦を摩擦して、音を出すんです。懐かしいなあ……。

ニールセン

──おめえ、それ、持ってってもいいぞ。

メグミ

え?

ニールセン

二階に置いてあるもんは、長年売れ残って埃を被ってるようなのがほとんどなんだ。そんなガラクタの一個や二個くれてやったところで、何も問題はねえよ。

メグミ

い、いいんですか!?

ニールセン

それにおめえはうちの大事な労働者だからな。特別出血サービスだ、金はいらねえぞ。

メグミ

わあ、嬉しいです……!ありがとうございます!

ニールセン

その代わり、大事にしろよ。巡り巡って、ここに辿り着いたもんだからな。

メグミ

はい、勿論です!大事にします!

ニールセン

ああ、それからおめえ、明日は仕事休んでいいぞ。

メグミ

え、どうしてです?

ニールセン

ロケットが打ち上げられるんだろう?せっかくだ、嬢ちゃんと二人で見に行ってこい。俺は大して興味もねえが、おめえにとっちゃ大事な家族の晴れの舞台だ。
こういう時くらい素直に甘えとけ。

メグミ

……!、ありがとうございます。

メグミ(M)

そう、今日は8月30日。ロケットの打ち上げは、いよいよ明日に迫っている。僕はそれがとても楽しみで、だけどあの正体のわからない胸のざわつきも、日に日に僕の内で膨れ上がり、今や収拾がつかないほどに成長し、巨大なとぐろを巻いているのだった。

***

《水車小屋にて》

◆メグミ、セロを練習している。

メグミ

うーん……やっぱり久しぶりだと、指が動かないなあ。

モニ

セロ、むずかしい?

メグミ

昔はもうちょっとは弾けたはずなんですけど……ブランクがあるとどうもだめですね。

モニ

練習すれば、またうまくなるよ。

メグミ

ええ、そうですね。頑張ります。

◆オズ、帰ってくる。

オズ

いやあ、疲れた疲れた。プロジェクトの最終調整のためとはいえ、年寄りには些かハードなスケジュールだよ。

モニ

おかえりなさい、ナツオ。

メグミ

おかえりなさい、博士。よく帰ってこられましたね。遅かったので、今日はもうお戻りになられないかと思いましたよ。研究所を離れて、大丈夫なんですか?

オズ

ただいま、モニ、メグミ。もう明日の準備は万全なのでね。今夜はみんな一息ついて、思い思いの時間を過ごしているよ。……ん?メグミ、それは何だね?

メグミ

セロですよ。楽器の一種です。

モニ

ニールセンのおじさんが、メグミにくれたの。お金はいらないって。

メグミ

お言葉に甘えて、いただいてきてしまいました。

オズ

ほう。あのニールセンさんが、そんな立派なものをねえ。

メグミ

?、どういうことですか?

オズ

メグミも知っての通り、ニールセンさんは厳格な人だろう?
みせの物をタダで人にばら撒くなんて、そう簡単にするような人じゃない。それ以前にそんなことばかりしていたら、商売上がったりだしね。

メグミ

ってことは……。

オズ

メグミ。君はどうやら、ニールセンさんに酷く気に入られたようだね。

メグミ

ほんとですか!?よかったぁ……!

オズ

おや、まだ以前に彼に言われたことを気にしていたのかい?

メグミ

当然ですよ。初対面であんな対応をされてしまったら、気にしない方が無理ってものです。

オズ

人の心は変わるものだよ。もっとも、君自身が変われば、の話だがね。

メグミ

……。
あ、そういえば博士。
ウロって今日も、研究所ですか?

オズ

ウロ?いや、今はいないんじゃないかな。私が帰る時に一緒に研究所を出て、そのままコグレの方へ向かったから。理由は訊かなかったが……どうしたんだね?急に。

メグミ

……!、博士!僕、ちょっと出かけてきます!

オズ

ああ、別に構わんが……。あまり遅くならないようにするんだよ。

メグミ

はいっ、行ってきます!

メグミ(M)

間違いない。ウロは今、コグレの教会にいる。一人ぼっちで、さびしいピアノを奏でている。何故だろう、無性にウロに会いたかった。それにこの間の言葉──彼女は僕へ向かう感情に、答えを見出すことができただろうか。僕たちは、変わることができたのだろうか。僕は一心に向日葵ひまわり畑を抜け、石畳の坂を駆けた。ウロに会いたい。ただそれだけのために。

オズ

ウロのことは頼んだよ、メグミ。

モニ

ナツオ……?

オズ

大丈夫だよ、モニ。全ては予定通り順調だ。何も問題はない。
そう、全ては滞りなく、何もかもがね。

to be continued.