凌霄花

企画:Familiar Company
作者:饗庭璃奈子(あいばりなこ)


これは、私が少女時代を過ごしたつばめ荘がなくなってしまった今、私の心が還る唯一の場所──花のいたあの日々の、最後の夏の記憶です。


紫藤 花しとう はな
回想時、17歳(高2)。AB型。見た目ばかり人形のように綺麗で、性格は悪く気性の荒い少女。男っぽい喋り方をする。生まれつき体が弱く、先が長くない。千佳人が好きだが、自分はもうすぐ死ぬからと本気の恋愛はせず、男をとっかえひっかえしている。
来海 うたきまち うた
回想時、17歳(高2)。現在27歳。O型。花とは血の繋がりのない遠い親戚。しっかり者で世話焼きだが、ちょっと抜けたところがあったり、時に誰よりも大胆な行動に出たりする。自分の色恋にとことん疎い。自分でも気づいてないけど千佳人のことが好き。
水瀬 千佳人みなせ ちかひと
回想時、17歳(高2)。現在27歳。B型。つり目で色素が薄く、よくハーフに間違えられる。モテるけど自覚ない。普段はヘタレだがいざという時は男を見せるタイプ。花が好きだが、花の複雑な感情に気づいているのでそれ以上先に進もうとは思っていない。
日比谷 丈嗣ひびや たけつぐ
つばめ荘のオーナー。おおらかで情に熱い性格。丈嗣という名だが丈さん(じょうさん)と呼ばれている。エキストラ。
日比谷 多恵ひびや たえ
丈嗣の奥さん。いつもおっとりしていて普段はほとんど感情を見せなず、動じない。花が唯一弱みを見せられる相手。
冴島 雪さえじま ゆき
ギャル。ぶすっとしてるが、華があるので結構モテる。千佳人が好き。
花たちと同じ学校で、隣のクラス。エキストラ。
橘 茉莉たちばな まつり
お馬鹿系ギャル。面白いことや悪戯が大好き。基本的に悪気はない子。
花たちと同じ学校で、隣のクラス。エキストラ。
芳倉 杏よしくら あん
ダウナー系ギャル。基本的にだるいけど冴島にはついていくスタンス。
花たちと同じ学校で、隣のクラス。エキストラ。

《病室にて》

001 花

なあ、うた。

002 うた

なあに?

003 花

これを、受け取ってくれないか。

004 うた

……?

005 花

手紙を、書いたんだ。入院中、ひまだったから。
あたしの本当に、最後の最後に伝えたい言葉だ。

006 うた

最後だなんて、やだ。やめてよ、そんな今から死んじゃうような言い方。あんた殺そうなんてしたら、逆に死神の方がお陀仏しちゃうわよ。

007 花

自分でも、そう思ってたんだけどな。だけどそろそろ、限界みたいだ。

008 うた

……。(手紙を受け取る)

009 花

うた。この手紙は、今ここでは開けないでくれ。あたしが本当にいなくなった時に、初めて読んでほしい。あの凌霄花のうぜんかずらの木の下で、この手紙を──。

***

《凌霄花の木の下にて》

◆SE:波の音
◆うたと千佳人、肩を並べて海を眺めている。

010 うた

ひさしぶりだね。

011 千佳人

ああ。ひさしぶり。

012 うた

何年ぶりかな。

013 千佳人

もう数えるのもやめたよ。

014 うた

つばめ荘がなくなって、もう随分経つもんね。

015 千佳人

そうだな。

016 うた

じょうさんとおかみさん、元気にしてるかな。

017 千佳人

元気に決まってるよ。丈さんなんか、俺らを見たらまるで昨日の今日みたいに声かけてくるさ。俺なんかたぶん、チョークスリーパー決められる。

018 うた

ふふっ。そうだね。それを見ておかみさんは、いつもおっとり笑う。

019 千佳人

おかみさんのメシ、うまかったよな。

020 うた

千佳人ちかひとくんはおかみさんのご飯のためだけにつばめ荘に入り浸ってたもんね。

021 千佳人

旅館だけじゃなくて、食堂もやってたからな、あそこ。

022 うた

懐かしいね、全部。

023 千佳人

……ああ。

◆沈黙。

024 うた

今日は空が綺麗だね。海と空が溶け合って、世界が青一色に染まっちゃいそう。

025 千佳人

(少し笑って)うたちゃんは詩人だな。

026 うた

青い世界の中で、凌霄花の橙だけが天高くそびえて、鮮やかに映えるの。

027 千佳人

……。

028 うた

つばめ荘がなくなっても、凌霄花は咲くんだね。

029 千佳人

ああ。

030 うた

花がすごく好きだった、ここの凌霄花。

031 千佳人

……ああ。

032 うた

いろんなことがあったよね。

033 千佳人

……そうだな。

034 うた

ねえ。花もどこかで、この空を見てるかな。

035 千佳人

わかんね。あいつ、俺らに何も言わないで、どこかに行っちまったから。

036 うた

ほんとさ、花って嫌なやつだったよね。

037 千佳人

ほんとにな。おまけに薄情者。俺らになーんも、残していかねえんだもん。

038 うた

……。(手紙のことを思い出す)

039 千佳人

でもさ、俺、花は最高に傑作だったと思ってるよ。
あんな強烈な子、他にいないよ。

040 うた

うん、そうだね。私も花のおかげで世界を見る目が変わった。
なんか、細かいことどうでもよくなっちゃった。

041 千佳人

生きてんのかな。あいつ。

042 うた

思い出すね。最後の夏。

043 千佳人

……ああ。思い出すな。

***

044 うた(M)

これは、私が少女時代を過ごしたつばめ荘がなくなってしまった今、私の心が還る唯一の場所──花のいたあの日々の、最後の夏の記憶です。

***

《つばめ荘にて》

◆SE:ノック音

045 うた

花?花ー?入るわよ?今日は病院でしょ、そろそろ支度……、
(ドアを開ける)あ。

◆部屋、空っぽ。窓が開いている。

046 うた

……やられた。

047 うた(M)

私の家庭は少し特殊で、私は年端もいかぬ頃から、この小さな海辺の町の片隅、親戚の営むつばめ荘という旅館に預けられて育ちました。
住人はオーナーの丈さんとおかみさんと私、そして──、

◆うた、階段を駆け下りる。

048 うた

(息切れ)

049 多恵

あら?うたちゃん、血相変えてどうしたの?

050 うた

花がまた逃げました!病院の日いっつも逃げるから、今日は早く捕まえにいったのに、窓が開いてて!もう信じらんない、あそこ何階だと思ってんの……!?

051 多恵

あらあら。ほんと、困った子ねえ。(ちっとも困ってなさそうに)

052 うた

私、探してきます!

053 多恵

お願いねー。……っふふ。花ちゃんはやんちゃねえ。

054 うた(M)

花。それがつばめ荘の、もう一人の住人です。
私と同じく、花もこのつばめ荘に預けられている、私の遠い親戚に当たります。もっとも預けられている理由は、私と花とで全く違うものなのですが。
私が丈さんの姪、花はおかみさんのはとこの娘なので、親戚といっても、私たちに血の繋がりはありません。同い年ということもあり、私にとっての花は親戚というより、まるで気の置けない友達のような存在でした。ちょっぴり、困ったところのある子なのですが……。

055 うた

(息を切らしながら)……やっぱりここにいた。

056 花

やあ、うたじゃないか。どうしたんだ?般若みたいな不細工な顔して。

057 うた

不細工にもなるわよ。三階の窓から逃げるなんて、一体どういうつもり?

058 花

お前はほんとに口うるさいな。まるでうちのばばあだ。

059 うた

はぐらかさないの。あんな高いところから外に出たら危ないでしょ。それにちゃんと寝て、病院にだって行かないと。また熱出すわよ。

060 花

ちゃんと寝てるじゃないか。

061 うた

草っ原の上でね。それは寝てるって言わない。ちゃんとお布団に入りなさい。

062 花

ほんと、言うことがばばあそっくりだな。

063 うた

あんた前にしたら、誰だってこうなるわよ。

064 花

それにしても(伸びをして起き上がる)よくここがわかったな。
お前は千里眼か何か持ってるのか?

065 うた

(笑って)わかるに決まってるでしょ。あんた病院から逃げるとき、いっつも海岸通りの凌霄花の木陰に来るじゃない。好きよね、あんた。凌霄花。

066 花

別に凌霄花ってやつが特別好きなわけじゃない。ここのこいつが好きなんだ。

067 うた

ふうん。なんか意外。

068 花

あ?

069 うた

花って名前のくせに、こういうものを愛でる情緒なんてあんたちっとも持ち合わせてなさそうなんだもの。

070 花

(むっとして)失礼だな、お前。

◆千佳人、海岸通りを歩いてくる。

071 千佳人

あれ?花にうたちゃんじゃん。

072 うた

あ、千佳人ちかひとくん。

073 花

やあ、千佳人じゃないか。

074 千佳人

こんなところで何してんだー?……って、訊くまでもないか。
ちゃんと病院行けよ、花。

075 花

(ため息)仕方ない、お前が言うならばそうしよう。千佳人、愛してるぞ。

076 うた

なっ……!?(赤面)

077 千佳人

はいはい、俺も花が好きですよ……っと。それじゃ、またあとでなー。

078 花

おう。

079 うた

……。

080 花

ん?なんだうた、今度は顔が茹で蛸だぞ。どうした。

081 うた

あのさ、花。

082 花

ん?

083 うた

あんたいっつも千佳人くんと愛してるだの好きだの言い合ってるけど、あれ、本気なの。

084 花

当然だろう。本気じゃなきゃあんなこと言わない。

085 うた

じゃあなんでいつまでも、男とっかえひっかえしてんのよ。千佳人くんが好きなら、ちゃんと千佳人くんと付き合ったらいいじゃない。

086 花

本気だからだよ。

087 うた

え?

088 花

どうせあたしはもうすぐ死ぬ。だから千佳人とは付き合わないよ。
あいつのことはお前に譲ってやるから、安心しろ。

089 うた

はっ!?私は別にそんなんじゃ!

090 花

はあ〜〜〜色恋に疎いやつはやだねえ。
さて、千佳人に言われてしまったからには、おとなしく病院に行くとするか。

091 うた

そ……そうだよ!おかみさんだってきっと花のこと心配してるよ?千佳人くんに言われなくてもちゃんと病院は行きなさい!お世話になってる人に迷惑かけるようなことしないの!

092 花

はいはい。あー、だりーだりー。(花、遠ざかる。フェードアウト)

093 うた

……。(花の「もうすぐ死ぬ」という言葉を思い返し、表情が翳る)

***

094 丈嗣

おーらおら、どうしたぁ千佳人ぉ?まだまだ修行が足りんなあ?
(千佳人にチョークスリーパー)

095 千佳人

(首絞められながら)ちょ……丈さん!も、ギブ!ギブだってば!

096 うた

……何してんの?

097 多恵

いつもの朝ご飯戦争ですって。ほんと、男の人っていつまで経っても子供よねえ。

098 うた

あー……またいつものアレですか。飽きないですねえ。

099 丈嗣

つばめ荘一階食堂は、ご宿泊のお客様を除き午前十一時からの営業、だ!それをてめえの朝メシ食いたさに早く店開けろたあ、百年、いや一億年はええんだ、よっ!(さらに首絞める)

100 千佳人

わ、わかりましたってば!でもおかみさんのメシうまいから……いてててて!

101 花

おかみさん。遅くなっちまったけど、メシ頼むよ。

102 多恵

あら、花ちゃん。帰ってたのね。病院が嫌で逃げちゃったってうたちゃんに聞いてたから、心配したのよお。(ちっとも心配してなさそうに)

103 花

千佳人に言われたから、仕方なく帰ってきた。

104 多恵

あら、千佳人くんに。

105 丈嗣

お?なんだあ千佳人。おめえ、うちの花ちゃんを諭してやってくれたのか?

106 千佳人

へ!?あー、ええ、まあ……。

107 丈嗣

ふーむ、そうかそうか。うちの花ちゃんをな。

108 千佳人

あのー、これに免じてメシ……。(愛想笑い)

109 丈嗣

うちの花ちゃん口説くなんて一兆年早いんじゃクソガキャア!

110 千佳人

ぐええっ!だからギブ、ギブだってば丈さぁん!くる、し……!
……!(がくっ)

111 うた

じょ、丈さん!千佳人くん魂が半分くらい口から出てる!出てる!

112 多恵

あなた。ほどほどにしておいてあげて下さいね。

113 花

あはははは!情けないな、千佳人。

114 うた

あんた……(小声で)好きな人ならちょっとは加勢してやんなさいよ。

115 丈嗣

(ぱっと手を離して)ま、でも、花ちゃんを病院に行く気にさせてくれたのはお手柄だ。今日は特別にメシ、食わせてやろう。おーい、多恵!千佳人にもメシ一人前!

116 多恵

はいはい。(こそっと)そう言ってなんだかんだいっつも食べさせてあげるんだから。

117 丈嗣

んー?多恵、何か言ったかー?(聞こえてない)

118 多恵

いいえ、なんでもありませんよー。ふふっ。

119 千佳人

(席に着きながら)ふー……やっとメシにありつけるよ。

120 花

よかったじゃないか。

121 千佳人

おかみさんのメシは文句なしに一品なんだけど、丈さんの洗礼は毎度なんとかならないもんかねえ……。俺、毎度死にかけ。

122 花

特別に早く開けてもらってるんだ。そのくらい我慢しろ。

123 千佳人

ううっ。花、ちべたい。

124 うた

千佳人くん、よくうちに朝ご飯食べにくるよね。
おうちの人、忙しいの?

125 千佳人

ん?ああ、共働きだからな。俺も朝は新聞配達のバイトで疲れきってるし、ここでメシ食わして貰えんのが一番ありがたいんだわ。何よりうまいしな。

126 うた

そっか……千佳人くん、大変なんだね。

127 花

だからって人様に迷惑かけるのはどうなんだか。

128 うた

それ、花にだけは言われたくないと思うよ。

129 千佳人

(笑って)確かに。でも、俺なんかよりお前らの方がよっぽど大変だろ。花は単身療養、うたちゃんは両親の再婚でお払い箱。俺と同い年なのに、ほんとよくやってるなって思うよ。俺だったら、二人みたいに笑ってられないと思う。

130 花

急になんだ?褒めても何もでないぞ、千佳人。

131 千佳人

そんなんじゃねえよ。本気でそう思ってるから言ってんの。

132 花

ふーん。

133 多恵

花ちゃん、食べ終わった?そろそろ支度してちょうだいね。

134 花

はーい。じゃあな、千佳人。人んちであんまり騒ぐなよ。

135 千佳人

騒いでるのは俺じゃなくて丈さんだし、学校があるからそんなに長居できないよ。

136 丈嗣

誰が騒いでるだあ?千佳人。

137 千佳人

えっ。いやあ、そのお、えっと……。

138 うた

花は遅れて来るんだよね。じゃあまた学校でね。

139 花

ああ。

140 多恵

うたちゃん、千佳人くん。いってらっしゃい。

141 うた 千佳人

いってきまーす。

142 うた(M)

これが私たちの日常。花は神様が特別にあつらえたお人形みたいに綺麗だけど、その見た目通りに脆くて、千佳人くんはおうちが裕福ではなくて、私は両親から愛情を貰えなくて。みんな何かが欠けているけど、三人揃えばそれなりに幸せ。
そんな日々が、ずっと続くと思っていました。その、はずだったのです。

◆SE:ハサミの音、三回。

***

143 うた

花ー!花ー!いつも言ってるのにまた逃げて。
……あ、もうやっぱりあそこにいた。ぼーっと突っ立って何やってんだろ。
おーい、花ー!花って、ば……え?

◆凌霄花の花、全て地面に落ちている。

144 うた

何、これ……凌霄花、もう全部散っちゃったの?

145 花

散ったんじゃない。

146 うた

え?

147 花

確かに凌霄花は、花の首ごと落ちて散る。だが、この切り口を見ろ。

148 うた

……、!
刃物で切った痕?

149 花

それに、こっちも。

150 うた

……、土が抉れたみたいな痕が、地面に四つ。

151 花

おそらく脚立か何かだろうな。それで高いところの花も、一つ残らず切り落としたんだ。

152 うた

こんな酷いこと、一体誰が……?

153 花

わからない。だが、あたしはこんなことしたやつを絶対に許さない。
とっ捕まえて、この花と同じ痛みを味あわせてやる。

154 うた

ちょっと、気持ちはわかるけど物騒なこと言わないでよ。

155 千佳人

(遠くから)おーい!(近づいてきて)何やってんの。

156 うた

千佳人くん。

157 千佳人

って、うっわ、ひでーなこりゃ。誰かの嫌がらせ?

158 うた

わかんない。でも、人為的なものなのは確かみたい。

159 花

とにかくあたしは、こいつをやった犯人を捜すよ。
必ず見つけ出して、罰を与えてやる。
(つばめ荘に向かって歩き出す)

160 うた

あ、ちょっと花!待ってってばー!

161 千佳人

あ、二人とも!……ん?木の陰に、ハサミ?
(拾い上げる)こいつでこの花を切り落としたのか。
……酷いことしやがるもんだな。

***

162 花

おかみさん!丈さん!(つばめ荘に駆け込んでくる)

163 丈嗣

お?なんだあ?今日の花ちゃんは威勢がいいなあ。

164 多恵

あらあらどうしたの花ちゃん、血相変えて。

165 花

海岸通りの凌霄花の花が全部切り落とされてたんだ、誰かに!
何か知らないか!?

166 多恵

(顔色が変わる)……なんですって?

167 丈嗣

花ちゃんの大事なあの木が?

168 花

……っ!

169 丈嗣

ひでえことしやがる……多恵!俺ぁちょっと見てくる!

170 多恵

あ!ちょっとあなた!もう……。

171 花

昨日の夕方見かけた時はまだ綺麗に咲いてたから、夜中にやられたんだ。
まだまだ綺麗に咲いていられるはずだったのに、畜生ッ……!

172 多恵

花ちゃん。

173 花

174 多恵

深呼吸して、少し落ち着きましょうか。
凌霄花って、橙色の花がすごく綺麗なあの木よね。花ちゃんの大好きな──酷いことをされたのね。でもうちの人みたいにむきになって駆けずり回るだけじゃ前には進めないわ。今はちょっと冷静になって、状況を振り返ってみましょう?

175 花

……でも、

176 うた

花!(つばめ荘に駆け込んでくる)

177 多恵

うたちゃん。

178 花

うた……。

179 うた

花、落ち着いて聞いて。犯人を捜すのは勿論私も賛成、手伝うよ。でも、こうやってただがむしゃらにあちこち訊いて回るだけじゃ、効率が悪いと思うの。
狭い町だもの、犯人を絞れるだけ絞ってみましょう。

180 多恵

うたちゃんの言う通りよ。さ、一緒に考えましょ。

181 花

……わかった。

182 千佳人

(部屋に入ってくる)丈さん、すげえ形相で走ってったよ。俺のことしばきもしない。ありゃ相当怒ってんな。メシ……って雰囲気でもないし、俺もその話、聞かせてもらうよ。

183 うた

ええ。いいわね、花。

184 花

ああ。

185 うた

まず大前提として、あの木は誰のものでもない。海岸通りの道沿いに植えられた、いわば街路樹。その木に一番入れ込んでいたのが、花だった。
それはこの狭い町、特に海岸通りをよく歩く人には知れた話。

186 多恵

間違いないわ。あそこはどこの敷地でもないもの。

187 花

あたしもあそこに入り浸るようになって、いろんな人と知り合ったよ。
学校の奴もよく見かけるな。

188 うた

更に、犯人のあの花への異常なまでの固執。単なる悪戯だったら、脚立まで用意して、わざわざ高いところの花まで全部切り落とすような手の込んだ真似する?
犯人は初めから計画性を持って事を遂行した。花の大事な場所で、〝花〟を切り落とす。私には、これが〝花〟の名を持つあんたへの当てつけのようにしか思えないのよ。つまり、犯人は花に個人的な恨みを持つ人物だと考えられる。ここまでいい?

189 花 千佳人 多恵

おお〜〜〜。

190 千佳人

なるほどな。徹底的なあのやり方も、そう考えれば納得がいく。

191 多恵

うたちゃんすごいわ。探偵になれるんじゃない?

192 花

うた。お前その頭、もっと別のことに使えないのか?

193 うた

おお〜〜〜じゃないわよ特に花!当事者なんだからもっとしゃんとしなさい!

194 花

あ、ああ。すまん。

195 うた

それで?何か思い当たる節は。

196 花

んー……正直、心当たりがあり過ぎて、わからん。

197 うた

(がっくりして)でしょうねー……あんた、見るたんびに男変わってるもんね。

198 花

だ、だが、恋愛沙汰以外でトラブルは起こしてないと思うぞ!
海岸通りを通る人たちともうまくやってるし。

199 うた

ああ……あんた、性格悪いくせに人当たりだけはいいから……。じゃあ、犯人は恋愛絡みの私怨で事に及んだ可能性が高いってことね。このねちっこいやり方からして、女かしら。

200 千佳人

いや、わからんぞ。男でもねちっこいやつなんてのはうじゃうじゃいるからな。

201 多恵

ストーカー事件とか、よくニュースになってるじゃない。失恋の傷跡を引きずっちゃうのは案外男の人だったりするみたいよ。

202 うた

ああ、そっか。でも、そうなると範囲が広くて難しいなあ。
どっかの誰かさんが手当たり次第男漁るから。

203 花

あああああ、でも!最近手を出した男は学校のやつばかりだぞ!

204 千佳人

……ああ。そういえば、そうだな。珍しく。

205 多恵

あら花ちゃん、珍しいのねえ。

206 うた

でもまあそういうことなら、直近から探ってくとすればまずは学校ってことで決まりね。
学校だったら恋愛事情も把握しやすいし、やりやすいかも。

207 花

よし!じゃあ早速学校行って聞き込みだ!行くぞ、うた、千佳人!

208 うた

ちょっと待った!あんたはこれから病院でしょ?逃げようったってそうはいかないわよ。

209 花

んなこと言ってる場合か!な、今日は特別にいいだろ、おかみさん!

210 多恵

……ええ、わかったわ。病院には私から連絡しておいてあげる。

211 うた

えっ、いいんですか!?

212 花

ありがとう、助かるよ。じゃあ決まりだ!行こう!

213 千佳人

わ、ちょっとおい、引っ張んなって!

214 多恵

みんな、気をつけてねー。

***

《職員室にて》

215 花

失礼します!

216 うた(M)

いーい?花。ターゲットが学校に絞れたって言っても、いきなり目的の張本人に直接ぶち当たってもうまいことかわされるだけ。せっかくこっそり悪いことしたのに、自分がやりましたーなんてわざわざ馬鹿正直に名乗り出るやつなんかいないでしょ?

217 花

おはようございます、先生。ああ、病院?今日はなくなったんです。ちょっと諸事情で。

218 うた(M)

めぼしい人がいたら、まずはその人の周りから攻めるの。
例えばその人の友達とか、担任の先生とか。

219 花

あの、隣のクラスの折笠おりかさ先生ってもう来てますか?……あ、折笠先生!ちょうどよかった、ちょっと訊きたいことがあるんです。

220 うた(M)

事件のことも言っちゃだめ。その人と近しい人だったら、そっちの肩を持たれる可能性があるでしょ?だから──、

221 花

昨日の夜、海岸通りを脚立持って歩いてたやつって、誰か心当たりありませんか?たぶん、うちの生徒なんですけど。いえ、ちょっといろいろあって。……ない?そうですか。ありがとうございます。……え?でも、昨日脚立を借りて、まだ返してない生徒がクラスにいるって、用具の篠原しのはら先生が言ってきた?それって……!

***

222 花

付き添いありがとう、千佳人。

223 千佳人

別に、俺は何もしてねえし。それにしても、花にしてはうまい立ち回りだったじゃん。しかも、ビンゴ。

224 花

あたしはうたに言われた通りにやっただけだ。……それに、ビンゴじゃない。

225 千佳人

え?

226 花

あたしが思ってたのとは違う奴だったんだ。でも……なるほどな。

227 千佳人

?、何がなるほどなんだ?

228 花

いや、なんでもない。ひとまずうたのところに戻ろう。

***

229 うた

花、千佳人くん!どうだった?

230 花

収穫はあったよ。上々だ。

231 千佳人

そっちは?クラス内での聞き込み。

232 うた

証言は取れたわ。海岸通り沿いに住んでる子が、隣のクラスの女子三人組が脚立を持って歩いてくところを見てる。

233 花

完璧だ。これで証拠は出揃った。早速本人にぶち当たってくるぞ。来い、千佳人!

234 千佳人

え、なんで俺ぇ〜!?

235 花

お前がいた方が相手を掌の上で転がしやすいからに決まってるだろう。

236 千佳人

……?ま、心配だからついてくけどさ。

237 花

助かるよ。

238 うた

花ー!くれぐれも無茶はしないのよー!
……行っちゃった。

***

239 花

よお。

240 冴島

……何。あんたなんで人のクラスに堂々と入ってきてるわけ。

241 花

お前に用があるんだ。……冴島雪さえじまゆき

242 冴島

は?用?じゃあさっさと済ませろよ、こっちはひまじゃねえんだよ。

243 花

人目につかない場所の方が都合がいいんだ。今夜21時、ツレ二人──たちばな芳倉よしくらとかいったか?あいつらと一緒につばめ荘の前の海辺に来い。

244 冴島

はあ!?だからひまじゃねえって言ってんだろ!?

245 千佳人

(被せて)冴島さん。あんたに断る権利、あるのかよ。心当たり、ないわけじゃねえんだろ?

246 冴島

っ……!わぁったよ!行けばいいんだろ!?橘と芳倉にはあたしが言っとくから、さっさと自分の教室戻れよ!うっぜえ!(立ち去る)

247 千佳人

……なんだあ?俺が言ったらやけに素直だな。口は悪いけど。

248 花

やはり千佳人を連れてきて正解だったな。さて、じきに授業も始まるし戻ろう。ああ、それと今夜、あいつらのところへはあたし一人で行くから。

249 千佳人

は!?肝心な時にお前一人で大丈夫なのかよ!?

250 花

いいんだ。これはあたしの問題だから、あとはあたし一人でなんとかするよ。ここまで手伝ってくれてありがとう、千佳人。

251 千佳人

……。不安しかねえ。

***

252 冴島

で、三人いるってわかってて一人で来たんだ?

253 花

ああ。ケリをつけにきた。

254 冴島

はっ、大した度胸じゃん。くだらねえプライドでヘドが出る。

255 橘

ていうかあたしぃ、なんで呼び出されてるのか全っ然わかんないんだけどぉ。

256 芳倉

ケリって何?あんたあたしらに何か恨みでもあるわけ?

257 花

恨みがあんのはそっちの方じゃねえの?

258 芳倉

……は?わけわかんないんですケド。

259 花

わからねえならはっきり言ってやるよ。海岸通りの凌霄花の花を切ったの、てめえらだろ。

260 橘

えー!何それ言いがかりぃ?ちょー意味わかんないんですけどぉ。

261 花

ちゃんと裏も取れてんだよ。昨日用具倉庫で脚立借りて、一晩返してない奴がいるってのも、昨日の夜脚立持って海岸通りを歩いてくうちの学校の女子三人組を見た奴がいるってのも。でもって凌霄花の木の下には、脚立の跡がはっきり残ってた。
何なら学校の脚立とあの跡、照らし合わせてみようか?なあ、冴島。

262 冴島

……っ、

263 芳倉

冴島……。

264 橘

……雪ちゃん。

265 冴島

……仕方ないでしょ。お前が悪いんだよ!千佳人くんとべたべたべたべたしてるから!気に入らねえんだよっ!(花に殴りかかる)

266 花

っあは、やっぱり手ぇ出してきやがった。

267 冴島

なんでこんな場所選んだか知らねえけど、人目につかないのはこっちにとっても好都合なんだっての!

268 芳倉

あーあ、冴島がキレた。やるっきゃねえか。

269 橘

雪ちゃんは怒りっぽいからねー。三対一だよ?そっちに勝ち目、あるのかなあ?

270 花

どうだろうね?

271 冴島

……っ、舐めやがってぇぇぇ!

272 花

おらよっと!(ハサミで切りかかる)

273 冴島

!?(よける)

274 花

……へっ。どうだ?ちょっとは怖じ気づいたか?

275 芳倉

な……!あいつ……なんつうもん持ってんだよ……!

276 橘

あれ……ハサ、ミ?

277 花

そうだ、見ての通りのハサミだよ。だから人目につかない場所の方が都合がよかったんだ。まだまだ綺麗に咲いていられたのに、無残に切り落とされた花と同じ思い……てめえらにも味あわせてやる。てめえらの首、あたしがぶった切ってやるよォ!(ハサミを振り上げる)

278 うた

花、ストップ!(花を抑え込む)

279 千佳人

(楽しそうに)あっぶねえことするなあ。

280 花

!?、うた!?千佳人!?

281 千佳人

うたちゃんは花を頼むよ。俺はちょーっとあのクズどもに釘刺してくる。

282 うた

わかった!

283 花

お前たち、どうして……!来るなって言っただろうが!

284 うた

あんたが無茶するのは目に見えてたからね……!千佳人くんと相談して、ずっと物陰から様子伺ってたのよ。案の定危ないことしてくれちゃってさ。

285 花

……っ、離せ!あいつらはあたしがこの手でぶっ潰さないと気が済まねえんだよ!

286 うた

ぅわっと、あっぶないな……!ほら、ちょっともうハサミ離して!……ほーんと、私程度の腕も振りほどけないくせに、負けん気だけは一人前なんだから。

287 花

くそっ……離せ!離せぇっ!

288 千佳人

さーてと……うちの花の大事なもん、よくもやってくれましたねえ、お嬢さん方?

289 冴島

……!

290 芳倉

べ……別にまだうちらがやったって決まったわけじゃないし!

291 橘

そ……そーだよ!脚立だけじゃ証拠にならないもんね!

292 千佳人

へえ?俺がこーんなものを持ってたとしても?

293 橘

あっ!それあたしのハサミ……!

294 芳倉

バカ、橘!

295 橘

あ、やべっ!

296 千佳人

ふーん?このハサミ、橘さんのなんだ。これさあ、花が切り落とされてた朝、あそこの凌霄花の木のところに落ちてたんだけど。

297 冴島 橘 芳倉

……!

298 千佳人

これ警察に突き出して事情説明すれば、お前らに相応の罰を受けてもらうこともできるんだよ?そうすれば俺らが直接手を下さなくても済むし、警察、呼んじゃおっかなー?

299 うた

そうよ!あんたたち、詰めが甘いっての!

300 千佳人

!、花は?

301 うた

なんかよくわかんないけど、急におとなしくなったから置いてきた。
……冴島、橘、芳倉。とりあえずお前ら歯ァ食い縛れ。

302 冴島

え、……うっ!(平手打ちを食らう)

303 橘

きゃっ!(平手打ちを食らう)

304 芳倉

くっ……!(平手打ちを食らう)

305 橘

いったぁーい……何すんのよ!

306 うた

当然の報いでしょ。花の痛みはこんなもんじゃない。ほんとだったら私が、あんたたちの首ちょん切ってやりたいくらいなんだから。

307 千佳人

あははっ、やるねえうたちゃん。せいせいしたよ。男の俺が女の子に手ぇ上げちゃったら、ちょーっと問題だからね。それと……冴島さん。あんたが今回の件の主犯、なんだよね?

308 冴島

……。

309 千佳人

花は俺の……俺らみんなにとって大事な子なんだ。俺もうたちゃんもそうだし、つばめ荘の丈さんもおかみさんも、花を自分の子供みたいに大事に思ってる。だから、次に花を傷つけるようなことしたら、その時はこれだけじゃ済まないから。

310 冴島

……っ、だって……千佳人くんが!あたしは千佳人くんが好きなのに!男とっかえひっかえしてるあいつのことばっかり、千佳人くんは見てて……!

311 千佳人

え。……あー、なるほど、そゆことね。やっと理解したわ。
確かにあいつ男にだらしないし、どうしようもないところあるよ。でも、それでも俺は花が大事だし、ほっとけない。だから冴島さんの気持ちには応えられない。ごめんね。

312 冴島

ぅ……うぅっ!(泣きながら走り去る。遠ざかるまでしゃくりあげてて下さい)

313 橘

あっ、雪ちゃん!

314 芳倉

冴島!(追いかける)

315 橘

むぅ……あっかんべー!(追いかける)

316 千佳人

あーあ、結局泣かせちゃったか。女の子泣かせるって、やっぱ後味わりー。

317 うた

ふふーん、モテる男はつらいねえ。……って、花!?

318 千佳人

!、花!

319 花

(呼吸荒く)やあ……うた、千佳人……。

320 うた

どうしたのよあんた、ぶっ倒れて。……って、やだ、すごい熱じゃない!

321 千佳人

少し無理しすぎたんじゃないのか、花?

322 花

夜風に……当たりすぎた。ははっ、ボロボロだな、あたしの体。

323 うた

(花の肩を抱え上げながら)いいからほら、つばめ荘戻るよ!千佳人くん、反対支えて。

324 千佳人

お、おう。……よいしょっと。

325 花

今回のことも、結局最後までお前らに助けられちまったし……このポンコツの体じゃ、一人で何一つ守れやしない。小さな花の一輪さえも。

326 うた

花……。

327 花

無力だ……無力だなあ、あたし……。

328 うた(M)

熱はそのまま下がることなく、花は長期の入院をすることが決まりました。私も千佳人くんもしょっちゅうお見舞いに行っていたけど、花は相変わらず透けるように綺麗で、そして最高に最悪な性格の持ち主なのでした。だけど、ある日忽然と、花は病室から姿を消してしまったのです。東京の大学病院に移ったのだと、丈さんとおかみさんは言いました。私たちに一言も言わずに行ってしまうなんて、なんて薄情者なんだろうと私と千佳人くんは言い合いました。それからしばらくして、経営の厳しさからつばめ荘は遠い町に移転することになり、私は両親の元へ、千佳人くんはあの町に残って、私たちはみんな、ばらばらになりました。

***

《病室にて》

329 花

(かなり弱っている)なあ、おかみさん。凌霄花の歌って知ってるか?

330 多恵

凌霄花の歌?

331 花

ああ。あたしが一番好きな歌なんだ。

332 多恵

花ちゃんは好きな歌も、凌霄花なのね。

333 花

まあ、たまたまなんだけどな。

334 多恵

どんな歌なの?

335 花

朱い花の道を手と手を取り合って、二人は歩くんだ。その二人みたいに、いつまでも好きな人と道を行けると思ってたんだけど、それは叶わないんだ。だって現実は物語みたいにうまくできてはいないから。そんな歌なんだ。……らしくねえだろ?

336 多恵

かなしい歌なのね。

337 花

そいつは……何を見てたんだろうって。ソーダ水越しにそいつは揺れて、あたしは迷っちゃって、いつか一人になって、過ごした時間も泡みたいになってっ……。

338 多恵

花ちゃん……。

339 花

なあ、おかみさんっ……!あたしが死んだら、みんなあたしのこと、忘れちゃうのかなあ……!?凌霄花の歌みたいに……!ぅうっ、うあぁぁあっ……!(泣きじゃくる)

340 多恵

(花を抱き締めて)花ちゃん。世界は汚れたものや目を背けたいようなものでいっぱいで、でもきらめいていて、時には人を拒むわね。網膜を光に焼かれて錆び付いてしまう時だってあるかもしれない。でも、覚えていて。出会った奇跡はずっと続くわ。

341 花

おかみさんっ……!あたし、怖い……!

342 多恵

ええ。

343 花

死ぬのは、怖くないんだ。だって、わかってたことだから。でも、みんなに忘れられて、誰もあたしを覚えていない世界がやってくるのは、すごく、怖い……!

344 多恵

ええ。怖くても、いいの。だってそれってすごく自然なことでしょう?

345 花

おかみさんっ……!あたし……!

346 多恵

大丈夫。私たちはあなたを忘れない。

***

《回想終了。凌霄花の木の下にて》

347 うた

〝そして手は探る、あなたといた町、思い出せなくなる前に〟

348 千佳人

え?

349 うた

病室の廊下で、おかみさんと花の会話、こっそり聞いちゃったんだ。
私も知ってた。花の好きな歌。

350 千佳人

あなたといた町……花と、いた町……。

351 うた

花ね、泣いてた。自分が死んだら、みんなに忘れられちゃうんじゃないかって。それが怖いんだって。私たちの前では、ずっと強がってたのね。馬鹿よね、忘れられるわけないじゃない。この町、花と過ごした時間。私たちの、大事な大事な宝物だもの。そりゃあひねくれて嫌なやつだったけどさ、私たちにたくさん、いろんなことを教えてくれた。

352 千佳人

(少し笑って)そうだな。忘れたくても、忘れられないよ。……で?

353 うた

ん?

354 千佳人

なんで今になって急に俺をこんなところに呼び出したの。うたちゃんち遠いから、こんな辺鄙な町に来るの大変だったでしょ。今は東京で一人暮らし、だっけ?

355 うた

ああ、今日はね、手紙を読もうと思ったの。

356 千佳人

手紙?

357 うた

えーっと……ああこれこれ。花からの手紙。

358 千佳人

……!どうしたの、これ。

359 うた

最後に、病室でね、花に渡されてたんだ。

360 千佳人

……まだ、封も切ってない。

361 うた

うん。今日まで、読まずにいたの。
……花は、自分が本当にいなくなった時に初めてこの手紙を読んでくれって言った。だから私は今日まで、この手紙を開けられなかった。これを開けてしまったら花とのことが、全部終わってしまうような気がして。本当は町を歩く時もいつも、花の面影を探してた。

362 千佳人

……俺もだよ。今もずっと、花を探してる。

363 うた

でも、それも今日でおしまい!花とのこと、忘れないけど……今日で、思い出にする。……一人で読むのは怖いから、千佳人くんのこと呼んじゃった。迷惑だった?

364 千佳人

いや。俺も知りたいよ。花が最後に残した言葉。

365 うた

そっか、よかった。じゃあ、開けるね。
(小声で)……さよなら、花。

366 うた 花

うた、そしておそらくそこにいるであろう千佳人へ。

367 花(M)

うたは臆病だから、きっと長らくこの手紙を開けられなかっただろうし、いざ読むとなったら千佳人と一緒じゃなきゃ怖くて文字を追えなかっただろう。どうだ、当たってるか?

368 千佳人

ぷっ。

369 うた

花のやつ……最後まで憎ったらしい奴。

370 花(M)

この手紙をお前たちが読んでいるということは、あたしはとうに死んだんだろう。あたしの愛したつばめ荘があって、あたしの愛した凌霄花の花が咲く、この海辺の町で静かに死ぬことが、あたしの願いだった。東京の大学病院に移されたとか聞いたかもしれないが、それはうそだ。あたしは確かに、今お前たちのいるこの町で死んだ。あたしが死んだことをお前たちに言わずにおいてくれるように、あたしが頼んだんだ。おかみさんはあたしとの約束を破るような人じゃないし、うちのばばあも渋々ながらあたしがこの町で最期を迎えることを承諾してくれた。おかみさんと丈さんが二人がかりで説得してくれたんだ。ありがたいことだ。病室の窓辺からは海も見えるし、まあ悪くない死に方だったんじゃないかと思う。
お前たちには色々と迷惑をかけた。それこそ最後まで、冴島たちのことでも迷惑かけっぱなしだった。お前たちと過ごしたあの頃、あたしは怯えていたんだ。やけに強がって粋がってみたり、危なっかしいことしてみたりもしたけど、本当はあたしを奪い尽くして踏みにじろうとする、神様の影が怖かった。お前たちにあたしが死んだことを隠したのも、だからなんだ。あたしの体は死んでも、せめてお前たちの中では、あたしの魂が生き続ければいいと思った。本当の臆病者はあたしの方だな。でも、少なくともこの手紙を読むまで、お前たちの中であたしは確かに生きていたと思う。ざまあみろ、大成功だ。
うた、千佳人。あたしはお前たちにとって最高に嫌なやつだったかもしれないけど、あたしはお前たちが最高に大好きだったよ。あたしはうそつきだけど、これだけは本当。狼少年にならないといいんだけど。
そろそろ看護師が来る時間だから、手紙を書くのはここまでだ。あんまり長々と書き連ねても、くどくなりそうだしな。それにこういう方が、あたしらしいってもんだろう。今日まであたしのことを、忘れずにいてくれてありがとう。
それじゃあまたいつか。凌霄花の花と歌が鳴る、どこか遠い場所で。

THE END.