君が幸いの為の脱獄

企画:Familiar Company
作者:饗庭璃奈子(あいばりなこ)
比率:♂2♀2不問1
時間:約45分


詩子が通り魔に遭い、記憶を失った。復讐を決意する詩子の恋人・有生。毎日のように彼女を見舞う親友・花音。そして花音に愛されていないことを感じながらも恋人であり続ける、有生の友人・拓人。四人はそれぞれ、不思議な少年とすれ違う。

※Skype上での声劇・ニコニコ生放送などで、ご自由にお使い下さい。イベント頒布CD用書き下ろし台本のため、作品として公開することはお断りいたします。

有生ありあ
寡黙な中にも激情を秘めた男性。恋人である詩子を刺した犯人への復讐を望む。花音・詩子とは中学からの同級生、拓人とは大学の同学科で親しくなった。拓人にはそれなりに気を許している。(怪物)
花音かのん
ふうわり・おっとり・たおやかなお嬢様、そんな外見とは裏腹に、芯の通った女性。ちょっと腹黒く毒吐きな一面も。詩子の親友で、たびたび彼女を見舞う。拓人と付き合っている。(魔物)
拓人たくと
花音の恋人で、花音と同棲している。有生の友人である花音に一目惚れし、交際を申し込んでしまうくらいにはそこそこ軽めの男性。しかし、花音が自分を愛していないことに気づいていた。(獣)
詩子うたこ
何者かに刺され、入院中の女性。とても綺麗な容姿をしている。事件のショックから過去の記憶の全てをなくしている。その本質は空っぽで、何もない。父親から性的虐待を受けていた。(天使)
少年
不問 四人がそれぞれ出会う少年。怪物であり、魔物であり、獣であり、天使でもある。外見年齢は10歳かそこらだが、その言葉は必ずしも外見に伴ったものではない。この物語のキーマン。
001 有生(M)

その日僕は、とても美しい怪物に出会った。

002 拓人

大変だったな、詩子うたこちゃん。

003 有生

……。

004 拓人

通り魔……だったんだろ?事件のショックで記憶が飛んじゃって、お前のことも覚えてないって花音かのんが言ってた。……恋人に忘れられるとか、きついよな。いや、俺、そんな状況に立たされたことねえから、有生ありあの気持ち全部わかってやることはできねえけどよ。

◆沈黙

005 拓人

あー……なんつーか、うまく言えないけど?あんまり気負うなよ。いや、気負うなってのも無理な話かもしんねえけどさ。要するに!一人で深く考え込んで、抱え込み過ぎんなってこと。詩子ちゃんの記憶も、きっと一時的なもんで、すぐに元に戻るって。大丈夫だよ。

006 有生

……僕は詩子が通り魔にやられたとは思ってない。

007 拓人

え?

008 有生

詩子はメッタ刺しと言ってもいいくらいの状態だった。それなのに抵抗した痕跡は一切なく、しかもは詩子の顔だけはご丁寧にも綺麗にけて刺してた。

009 拓人

そ……そんなの、偶然だろ?不意打ち過ぎて、抵抗する余裕もなかったのかも。

010 有生

僕はそうは考えてないよ。詩子をやったのは通り魔なんかじゃなく、詩子と面識がある奴だった。それもおそらく、詩子とそれなりに近しかった人物。執拗なまでの刺し傷を見る限り、本当なら殺すつもりだったのかもしれないが、最後の情けで顔だけは──、

011 拓人

考えすぎだって!

012 有生

果たしてそうかな、拓人たくと

013 拓人

な、何が。

014 有生

いろいろと不自然な点が多すぎるんだよ、今回の事件は。警察は通り魔って決めてかかってるけどな。これはそんな無差別な犯行じゃない。何か目的があって行われたことなんだ。
僕は必ず、詩子をやった犯人を炙り出す。そして、復讐を……!

015 拓人

……滅多なこと言うもんじゃねえぞ、有生。詩子ちゃんをあんなにされて心中穏やかじゃないのはわかるけど、復讐なんてなんの意味もない。お前が危険な目に遭うだけだ。
あとのことはもう全部、警察に任せとけ。

016 有生

……そうだね。少し冷静さを欠いていたようだ。悪い。

◆立ち上がる

017 有生

今日は付き合ってくれてありがとう、拓人。お前と話せて、大分気が楽になったよ。

018 拓人

おう。また何かあったらいつでも呼んでくれよ。くれぐれも、無茶すんじゃねえぞ。

019 有生

わかってる。それじゃ、僕はもう行くよ。

◆場面転換。有生、店を出て、外を歩いている。

020 有生(M)

拓人にはああ言ったが、僕はなんとしても、僕自身の力で犯人を探し出す。無能な警察なんかに任せてはおけない。そして自らのこの手で、復讐を……、

021 少年

ああ、いい感じに歪んじゃってるねえ、お兄さん。

022 有生

!!

023 有生(M)

そう声をかけてきたのは、公園のベンチに腰かけた、少女と見紛うばかりに美しい少年。その透明な視線はまっすぐに僕を射抜き、楽しそうに口をひずませて嗤っている。

024 少年

おまけにひん曲がってねじくれて、そのままガッチガチに凝り固まっちゃってる。
いいね、そういうの。嫌いじゃないよ。

025 有生

……なんだね、君は。
もう子供が一人で外を出歩いていいような時間じゃない。
早くおうちに帰りなさい。

026 少年

あれれ、機嫌を損ねちゃったかな。それじゃあ目障りな奴は、とっとと退散するとしますかね。でも最後に一つだけ、いいこと教えてあげるよ、お兄さん。

◆少年、有生の脇を素早く通り抜けざま、囁く。

027 少年

お兄さんが仇を討ちたい相手は、意外と身近なところにいるかもしれないよ。

028 有生

!!

029 有生(M)

どういうことだ、と声を荒げようとした時には、少年の姿は既にどこにもなく、木枯らしだけがびょおびょおと、ひと気のない路傍に吹き荒んでいた。僕の憎悪を見透かす、あれは人の形をした、美しい怪物だったのだ。呆然と、僕は思った。

***

030 花音(M)

その日私は、とても美しい魔物に出会いました。

◆SE:ノック音

031 詩子

どうぞ。

◆花音、病室に入ってくる。

032 花音

こんにちは、詩子。また来ちゃった。

033 詩子

ぁ……、

034 花音

調子はどう?

035 詩子

……はい、おかげさまで。

036 花音

それならよかった。はい、これお見舞いのフルーツ。

037 詩子

ありがとう、ございます……花音、さん。

038 花音

いやだ、そんな呼び方やめてちょうだい。詩子?私とあなたは親友だったのよ?

039 詩子

ご、ごめんなさい。でも私、自分のこと、何も覚えてなくて……。

040 花音

……ええ、わかっているわ。辛い思いをさせること、言ってしまっているかもしれないわね。ごめんなさい。でも、大丈夫よ。焦らずゆっくりと、思い出していけばいいから。

041 詩子

……ありがとうございます。

◆SE:ノック音

042 花音

あら、誰かしら。

043 有生

詩子、入るよ。

◆有生、病室に入ってくる。

044 有生・花音

あ。

045 有生

なんだ花音、今日も来てたのか。

046 花音

有生くんこそ、毎日甲斐甲斐しいわね。

047 有生

当然だろう。お前だって、拓人が同じ目に遭ったらそうするさ。

048 花音

どうかしら。有生くんほど健気じゃないのよ、私。詩子やあなたとは中学からの付き合いだけど、拓人とは大学で知り合って、まだ一年とちょっとだもの。あいつが私を忘れたりしたら、案外すぐに捨てちゃって、あとはけろっとしてるかも。

049 有生

拓人がそれを聞いたら泣くぞ……。

050 花音

うふふ。

051 詩子

あの……こんにちは、有生さん。

052 有生

!、……ああ、勝手に盛り上がってしまってすまないな。加減は?

053 詩子

ええ、おかげさまで。

054 有生

それはよかった。

055 花音

(ぼそっと)意気地なし。詩子に〝有生さん〟って呼ばれるの、しんどい癖に。

056 有生

かーのーんー?何か言ったか……?

057 花音

いいえ、なぁにも?うふっ。さて、お邪魔虫はそろそろ、出ていくとしますかねぇ。
それじゃお二人さん、どうぞごゆっくりー。

058 詩子

……っ!

059 有生

おい花音、妙な言い方はよせ。詩子は何も覚えていないんだぞ。

060 花音

あら、それはごめん遊ばせ?それじゃまたね、詩子。

061 詩子

あっ、はい!いつもありがとうございます!

062 花音

うふふ。

◆花音、退室。

063 有生

全く、昔から変わらないよな、あいつは。

064 詩子

……。

065 有生

……あ、悪い。

◆場面転換。花音、病院を出て中庭を歩いている。

066 花音(M)

今日はとてもよく晴れていて、今、世界は燃えるような茜色に染まっています。私の心もまるで今日の空のよう。すがすがしく晴れ渡って、赤々と燃え上がる。
一点の曇りもなく、というわけにはいかないけれど……、

067 少年

よくもまあそう平然と、笑っていられるものだねえ。
本当は心ん中、タールみたいにドロッドロなくせに。

068 花音

!!

069 花音(M)

そう声をかけてきたのは、花壇の縁に腰かけた、造りものみたいに綺麗な男の子。悪戯な笑みでにまにまと、試すように私を見つめていました。

070 花音

えーっと……ごめんなさい?
どこかであなたとお会いしたこと、あったかしら。
覚えがないのだけれど……。

071 少年

そんなこと、僕らにとってどうでもいい問題だと思わない?

072 花音

……えーっと……。

073 少年

それよりお姉さんの心の中は、もっと別のことで、いっぱいだと思うんだけど。

074 花音

……え?

075 少年

あいつさえいなければ、全ては完璧なのに。それがお姉さんの心を曇らせてるモノ。赤い画用紙を黒のクレヨンで引っ掻いたみたいな、どす黒いシミ。違う?

076 花音

!、あなた……、

077 少年

叶うといいね。お姉さんの〝願い〟。

◆少年、去る。

078 花音(M)

私が口を挟む隙も与えず、彼はひらりと身を翻すと、私の脇をすり抜けて、どこかへ消えてしまいました。残されたのは私と、茜色に輝く空ばかり。その時、私は思ったのです。逢魔時。私は私の心が呼び寄せた、美しい魔物とすれ違ったのだと。

***

079 拓人(M)

その日俺は、とても美しい獣に出会ったんだ。

◆拓人、ソファーに寝そべって、漫画雑誌をめくっている。

080 花音

ただいまー。

081 拓人

おかえり。遅かったな、どこ行ってたんだ?

082 花音

詩子の病院。有生くんもいたわ。

083 拓人

なんだ、また行ってたのか。……どうだった?詩子ちゃん。

084 花音

相変わらず。私のことも有生くんのことも、ちっとも思い出せないみたい。

085 拓人

そっか……。きついだろうな、有生。

086 花音

ああ、もうこんな時間?ごめんなさいね、今から夕飯の支度をするわ。

087 拓人

悪いな。

088 花音

このくらい当然でしょ。ちょっと待ってて。

◆花音、台所へ。

089 拓人

(ため息)

090 拓人(M)

俺と花音は恋人だ。俺が有生の友人だった花音に一目惚れして告白して、正式にそういうことになってるし、花音の方から言い出して、こうして同棲だってしてる。だが、俺はとっくに気づいてる。花音は俺を愛していない。その証拠に、花音は指一本、俺に触れさせようとはしないのだから。キスやセックスどころか手を繋ぐことさえ、俺たちがしたことはない。ただ、一緒に生活して、一緒に飯を食って一緒に寝起きして、それだけだ。花音が何を考えてるのかわからない。でも、確かめる勇気も俺にはなくて──、

091 少年

お兄さん、本当は彼女のこと、めちゃくちゃにしちゃいたいんでしょ?

092 拓人

!!(ソファから跳ね起きる)

093 拓人(M)

俺はぎょっとした。いつの間にかダイニングの椅子に、見知らぬ子供がいて、テーブルにだらしなく頬杖を突き、ソファーに寝転ぶ俺を薄い笑みを浮かべてじっと見つめていたからだ。いやらしい眼差しとは裏腹に、子供は奇妙に美しかった。

094 拓人

なっ……!なんだてめえ!どこから入ってきた!

095 少年

僕は〝呼ばれたから来た〟──それだけだよ。

096 拓人

わけわかんねえこと抜かしてんじゃねえ!ガキとはいえこれは立派な家宅侵入罪だぞ!

097 少年

ねえお兄さん。僕がお兄さんの本当にシタイコト、当ててみせてあげようか?

098 拓人

あ?

099 少年

邪魔な布切れはぎ取って、花音の裸が見たい。
胸のふくらみ揉みしだいて肌をまさぐって、でもってアソコにぶち込みたい。花音が壊れるくらい、本能のままに突きまくって──、

100 拓人

てんめえ……!黙れ!

101 少年

あははっ!図星突かれて怒った?

102 拓人

俺は……花音が大事だ。そんなことしたいなんて、一度も思ったことねえよ!

103 少年

(被せて)本当に?

104 拓人

!!

◆少年、素早く拓人と距離を縮め、耳元に唇を寄せて囁く。

105 少年

いつも花音のこと、透かすような卑しい目で見てるくせに。

◆少年、玄関の方へ走り去る。

106 拓人

あっ……こら待て!……え?

107 拓人(M)

子供を追って玄関を覗き込んだ時には既にそこには誰の姿もなかった。耳にかかった生あたたかい吐息、ぎらつく肉欲。やけに生々しく五感にこびり付いた、肉薄なまでのあの感覚。俺は美しい子供の形をした、獰猛な獣に出会ったのだ──そう、思った。

108 花音

(台所から)拓人ー?一人で大声出してどうしたのよ。

109 拓人

いや……なんでもない。

***

110 詩子(M)

その日私は、とても美しい天使様に出会ったのです。

111 少年

こんにちは。

112 詩子(M)

気がついた時には既に、彼は病室の窓辺に腰かけて、私を見下ろしていました。

113 詩子

あなたは……誰?あなたも記憶を失う前の私を知っている人?

114 少年

そうとも言えるし、そうでないとも言える。

115 詩子

……すごく綺麗な人。!、あなたもしかして、天使様なの?

116 少年

君がそう思うんなら、そうなんだろうね。人が望む通りに、僕は在るから。

117 詩子

じゃあ私にとってのあなたは確かに天使様だわ。

118 少年

……。

119 詩子

?、どうかした?

120 少年

本当に、空っぽなんだね。

121 詩子

え?

122 少年

君自身のエゴ、執着、したいと思うこと。君にはなんにもない。空っぽだ。
だから僕のことを天使だなんて言うんだろうけど。

123 詩子

……実際、今の私は空っぽですから。記憶がないんです。自分のことも、何ひとつ覚えてないの。通り魔に遭ったらしくて、そのショックで一時的に記憶が飛んでしまっているんだろうって、お医者様は言ってました。だから——、

124 少年

そういうことじゃないよ。

125 詩子

……?

126 少年

君には最初から、何もなかった。じゃなきゃ、僕のことを天使だなんて言うはずないんだ。こうなることも、君が自ら望んだことなんじゃないの?

127 詩子

あの、何の話だか……、

128 少年

……綺麗だな。本当に綺麗だ。こんな綺麗な人間、はじめて見た。

129 詩子

私はあなたの方が、綺麗だと思いますけど。

130 少年

ほらね、やっぱり君は綺麗だ。ぞっとするくらいにね。

131 詩子

え?

◆SE:ノック音

132 有生

詩子、入るよ。

133 詩子

あ……、

134 少年

誰か来たみたいだね。それじゃ、僕はもう行くよ。じゃあね、詩子。

135 詩子

ぁ、ええ……あら?

136 詩子(M)

振り向いた時には彼の姿はそこになく、白いカーテンが風に揺れるばかり。だけどここは三階。窓から出入りすることなんて、普通の人間にできるはずがない。それで私はますます確信したのです。ああ、彼は確かに、美しい天使様だったのだと。

◆有生、病室に入ってくる。

137 有生

?、どうした詩子、珍しいな。窓なんか開けて。

138 詩子

ええ、……有生さん。

139 有生

ん?

140 詩子

(微笑んで)私、天使様に会ったわ。

***

◆有生、病院の公衆電話から拓人に電話をしている。

141 有生

……ああ、昨日から言ってることがちょっとおかしいんだ。天使様に会ったとか、なんとか……。昨日は白昼夢でも見たんだろうと思って深くは追求しなかったんだが、今日もその天使様とやらの話ばかりでな。医者にもう一度精密検査を頼もうかと思ってる。……え?一度お前も来るって?ちょうど病院の近くにいる?
ありがとう、心強いよ。じゃあ、病院の前で待ってるから。

◆場面転換、病院の廊下。花音、病室に向かっている。

142 花音

~♪(鼻歌)

◆SE:ノック音

143 詩子

どうぞ。

144 花音

詩子?入るわよー。

◆花音、病室に入ってくる。

145 詩子

こんにちは、花音さん。

146 花音

こんにちは、詩子。……あら?今日は随分調子がよさそうね。

147 詩子

ええ。私、昨日、天使様に会ったんです。

148 花音

天使様に?

149 詩子

はい。

150 花音

素敵。その話、詳しく聞かせて?

◆花音、ベッドのふちに腰を下ろす。

151 詩子

勿論です。天使様は、美しい少年の姿をしていたの。気がついた時にはそこの窓辺に腰かけて、私を見下ろしていたわ。

152 花音

それで?

153 詩子

はじめは、記憶を失う前の私を知っている人かと思ったの。だからそう尋ねたんです。そしたら、〝そうとも言えるし、そうでないとも言える〟って。その時私、その人がすごく綺麗だってことに気づいた。それでふと思いついたの。この人は天使様なんじゃないかって。

154 花音

天使様だったのね。

155 詩子

私がそう望むならそうなのだろうと、彼は言っていました。だからあの人は確かに天使様だったのだと、私は信じています。

156 花音

そう。天使様に会えるなんて、やっぱり詩子は神様に愛されているのね。

157 詩子

……!、私の話、信じて下さるんですか?

158 花音

疑う理由がどこにあるの?詩子はそんなうそつくような子じゃないわ。

159 詩子

……有生さんは、信じてくれませんでした。事件のショックでどうかしちゃったんじゃないかって。また精密検査を受けることになりそうなんです。

160 花音

ああ、有生くんは昔からそうなのよね。究極のリアリスト。だけど気にすることないわ。私だけは詩子のこと、全部信じるから。例え世界の全てが敵でも、私だけは詩子の味方でいる。

161 詩子

……!、天使様、不思議なことを言っていた。私にはなんにもない、空っぽだって。だから天使様だなんて言うんだって。こうなることも、私自身が望んだことなんじゃないかって、一体何のことで……、?(うっとりと詩子を見つめる花音の視線に気がつく)花音さん?

162 花音

詩子は本当に綺麗ね。

163 詩子

ぇ、えぇっ!?やだやめてください、天使様も花音さんと同じこと言ってた。
だけど私そんなんじゃ……、

164 花音

いいえ、詩子。あなたは世界で一番綺麗な子だわ。

165 詩子

……え?、きゃっ!(ベッドに押し倒される)

166 花音

あなたが有生くんのことを忘れてくれて、本当に嬉しい……。
これでやっと、私は私の願いを……。

167 詩子

ぁ、あの、花音さ……、あっ!

168 花音

詩子……?ずっとあなたが好きだった。ずっと、ずっとよ。それなのに有生くんなんかにあなたの世界を奪われて、どれほど苦しかったことか……。

169 詩子

……っ、わかりません、やめてください!

170 花音

大丈夫よ詩子、だって私はあなたを好きなんだもの、あなたを愛しているんだもの。思っていた形とは違うものになってしまったけれど、これでやっとあなたを……!

171 拓人

そこまでだ。

172 花音・詩子

!!

173 花音

……あら拓人、どうしたの?珍しいじゃない、あなたが詩子のお見舞いに来るなんて。

174 詩子

!、……誰?

175 拓人

ちょっと近くに寄ったんでな。可哀想な親友の恋人の様子を見にきてみたら……っはは、なんだよこれ。……っ、なんなんだよこれはよォ!!!

176 花音

見てわからない?私と詩子は今からひとつになろうとしているの。どういう意味かわかるでしょ?だったら勿論、野暮な真似はよして出ていってくれるわよね。

177 拓人

……ふざけんな。……っ、花音!ああ知ってたよ、お前が俺なんか愛してないこと、最初から知ってた。知ってたけどお前が大事だから!俺はいつかお前にちゃんと見て貰えるその時を待とうと決めた。なのに!お前には他にずっと大事な奴がいたっていうのかよ。しかもその相手は女の子で!詩子ちゃんで!俺はただお前に利用されてただけだっていうのかよ!

178 花音

ええそうよ!私ははじめから、ずっと詩子を愛してた!あなたじゃなくてね!すごく都合がよかったわあなた。私のいうことはなんでも聞いて、手も出してこなければ別れを切り出してもこない。従順で哀れで、まるで私だけの犬のような人。ぴったりの隠れ蓑だったわ、私が詩子を愛してるってことを誰にも知られないためにはね。

179 拓人

俺は……お前の何だったんだよ……。

180 花音

ぜんまい仕掛けのただのおもちゃ。滑稽で仕方なかったわ、来もしない時を指を咥えて待ってるあなた、ばかみたいだった。だって私は詩子を愛しているんだもの、今までもこれからもずっと、ずっとね。だから私は刺したのよ詩子を!

181 詩子

え……?

182 拓人

……は?、な……に?お前が詩子ちゃんを刺した、だって?

183 花音

ええそうよ、詩子を刺したのは私。驚いた?

184 拓人

嘘だろ……?詩子ちゃんを愛してたっていうんなら尚更だ。
そんなことする理由がない!

185 花音

拓人。私ね、詩子に恋人ができたって聞いた時、嫉妬のあまり狂ってしまいそうだった。だから同じ頃、たまたま告白してきたあなたと付き合って、気を紛らわそうともしてみたけれど、無駄なことだったわ。私はやっぱり詩子を愛していたし、毎日毎日、嫉妬でおかしくなってしまいそうだったもの。それから私の柘榴は、長い時間をかけて、膿んで腐ってしまったのね。気がついた時には、この子を殺そうって決意してた。

186 詩子

……!

187 花音

殺してしまえば永遠に、詩子は私のものだもの。詩子の瞳は私を映したまま、永遠に時を止める。すごく素敵。あなたも私を愛してるっていうんならわかるでしょう?自分の方を見向きもしない愛しい人を瓶詰めの標本にしてしまいたいこの気持ち、わかるでしょう……?

188 拓人

……狂ってる。

189 花音

そうかもね。さあ、出てってちょうだい。私と詩子は世界で二人きりになりたいの。
ねえ、詩子……。(花音、詩子の頬を撫で、唇を寄せる)

190 詩子

ぃや……!

191 有生

詩子に触るな、化け物。

192 花音・詩子

!!

193 有生

話は全て聞かせて貰った。まさかお前だったとはな、花音。

194 花音

クスッ、やっぱりいたのね、有生くん。真の邪魔者のお出ましってわけ?

195 有生

どういうつもりだ。どうしてお前が詩子にこんなことをした。話せ。

196 詩子

有生さん、

197 有生

全て話せ!!今この場で、包み隠さず何もかも、全てだ!!!

198 花音

(気怠げに体を起こして)聴いていたんなら全部わかっているはずでしょう?私は詩子を愛してた。だから殺そうとした。永遠に詩子を私だけのものにするために。それだけよ。綺麗なお顔は傷つけないようにして、ただその魂さえ私のものにできるのなら、それでよかった。

199 有生

親友だった詩子を、お前はそんな理由で殺せるのか!

200 花音

(被せて)でもどうしてかしらね、殺しきれなかったのは。本当に殺してしまうつもりだったのに、今も詩子の心臓はちゃんと動いて、息をしている。
絶対に、殺せるはずだったのよ?あの時の詩子は無抵抗で、私の成すがままだったもの。なのにどうして殺せなかったのかしら。どうして……、

201 少年

それは君が詩子を愛していたから。そして詩子自身が望んだから。

202 四人

!!!!

203 有生

お前は……!

204 拓人

何なんだよ今日は、何がどうなってんだよ……!

205 詩子

(小さく)天使様……?

206 花音

え?

207 少年

花音。君はずっと、世界を拒んでいたね。

208 花音

209 少年

いや、正確に言えば、そんな積極的な感情もなかった、か。君は君に絶望し、そして同時に世界に絶望していた。

210 花音

どうして、あなたがそれを……。

211 少年

はじめて見た時、君は〝似ている〟と思ったね。詩子は君に似ていると。

212 花音

え、

213 少年

詩子は違う空気を吸い、違う吐息をつき、違う世界を見ている。何もかもが人とは違うと。
カラダも心も何もかもが綺麗で、愛さずにはいられなかった。

214 花音

……!、あなた、一体、誰なの……?

215 少年

僕は、君だよ。

216 花音

私……?

217 少年

詩子の傷みもかなしみも、君はひと目でわかった。強ばった表皮の裏、柔らかな肉の繊維のひとつひとつまでもを理解できた。合わせ鏡の内側からふれ合って、かたちをなくして溶け合うように。君には詩子が、世界がわかった。君の世界は詩子のためにあり、そして──、

218 詩子

世界は私と花音のためにあるのだと。

219 有生 花音 拓人

!!!

220 有生

詩子……?

221 拓人

詩子ちゃん、記憶が……!?

222 花音

詩子……!

223 詩子

(微笑んで)忘れてしまっていてごめんなさい、花音。

224 花音

!!

225 詩子

天使様のラッパが思い出させてくれたの、全部。
あの日──私が私自身に関する記憶を全て失ったあの日。私をこの世界から逃がそうとしてくれたのは、あなただったんだって。

226 花音

うた、こ……。

227 有生

記憶が戻ったのか。一体何を言っているんだ、詩子。こいつはお前を殺そうとしたんだぞ。

228 拓人

どういうことだよ……?

229 詩子

いいえ、違うの有生。花音が私を殺そうとしたんじゃない。

230 少年

本当のことを言うんだ、詩子。

231 花音

……!、いけない、詩子!それを言ってしまったら、あなたは……!

232 詩子

花音に殺されたいと願ったのは、私だったのよ。

233 花音

永遠にこの世界に囚われてしまう……!

234 有生

な……に?

235 拓人

詩子ちゃんが、願った……?

236 少年

詩子。あの日、君にとってもまた花音は、特別な存在になったね。

237 詩子

ええ。気づくのが随分、遅くなってしまったけれど。
私は空っぽで、誰も裏切らないし誰も拒絶しない。その代わりに私の幸せなんてどこにもありはしなかった。有生の想いを受け入れたのも、それは私が誰も裏切らない、世界のための自分で在り続けるため。そう、私自身のためだったの。
……ごめんね、有生。

238 有生

詩子……。

239 詩子

だけど花音だけは、他の誰とも違っていた。

240 花音

……!

241 詩子

本当はね、私にはたった一人だけ、裏切っている人がいたの。
花音はそれを私に気づかせてくれた。

242 少年

それは誰だった?

243 花音

だめ、詩子……!

244 詩子

それは──私。私は誰も裏切らないことで、私自身を裏切っているって。

245 拓人

自分自身を、裏切る……?

246 花音

もうやめて!もういいの、詩子……!
私は罰を受けるわ、確かにそれだけのことをした!だからこそ今ここで、有生くんと拓人の前で全てを明かしたの!それでもういいの……!

247 詩子

花音。

248 花音

249 詩子

魔物のふりはもうよして。もう、大丈夫だから。

250 少年

さあ、本当のことを話すんだ、詩子。それで全てが終わり、そして全てがはじまる。花音が君を殺そうとしたあの日、彼女は君に何を問うたのか。

***

251 花音

ねえ、詩子。

252 詩子

ん?

253 花音

おかしなことを訊いてもいい?

254 詩子

なあに?

255 花音

気を悪くするかもしれない。とんだ見当違いかもしれない。
でも、どうしても、確かめたいの。

256 詩子

ふふっ、へんな花音。あなた、そんな遠慮をする人だったかしら?私たち、もうどれだけの付き合いになると思ってるのよ。あなたは品のいい素振りで、もっとずけずけ人の懐に踏み込んでくる、そんな人でしょう?知ってるのよ。いいわ、なんでも訊いて。

257 花音

詩子……あなた本当に、有生くんを愛している?

258 詩子

……!

259 花音

おかしなことを言ってごめんなさい。でも中学の頃からあなたと私と有生くん、ずっと一緒だったけれど、私は一度もあなたからそんな気配を感じたことはなくて。
あなたたちが付き合い出したって聞いた時も、とても驚いてしまったの。きっとあなたは、有生くんの想いを拒むだろうと思っていたから。

260 詩子

……花音は聡いのね。

261 花音

……。

262 詩子

そうね。正直に言ってしまえば、自分の気持ち、よくわからないの。というより、私には自分ってものがないんだと思うわ。空っぽなの。有生を受け入れたのも、私が誰も裏切らないため。世界のために在り続けるため。それだけよ。私は絶対に誰も裏切らない。

263 花音

(被せて)それで自分を裏切ることになっても?

264 詩子

え?(振り返る)
……!
……泣いているの、花音?
どうして?

265 花音

あなたのため。

266 詩子

私のため?どうして?……あ、

◆花音、詩子を抱き締め、左耳を撫でる。

267 詩子

花音……?

268 花音

左耳の後ろの秘密……知ってるわ。あなたのお父様がいつもあなたにつける印。
もう深く刻み込まれて、決して消えることのない忌まわしい痣。

269 詩子

……ええ。母が父と私を裏切って、家を出ていってしまってから、父は次第に心を病んでいった。そんな父の唯一の心の拠り所が、私だったわ。ある日父は私を求めた。私はそれを拒まなかった。私は母のようにはならない、絶対に。私だけは、父を裏切ってはいけない。私を愛することで、父が最後の理性を保っていられるのなら、私は──、

270 花音

(被せて)そんなのおかしいわ!

271 詩子

え?

272 花音

こんな仕打ちを受けて……あなた一人で全てを背負って。それでもあなたは、誰も責めを負う必要はないっていうの?

273 詩子

……だけど私が裏切れば、きっとまた誰かが不幸になる。

274 花音

あなたは?

275 詩子

え?

276 花音

あなたの幸せの在処はどこ?

277 詩子

それは……、

278 花音

自分から……目を背けて、あらかじめないものとして拒否して。もうやめてちょうだい……そんな……あなたの幸せは、一体どこにあったっていうの……?

279 詩子

!、私は……間違ってるっていうの?私は、全ての──世界の幸いのために。

280 花音

その全てに、あなたは入っていないの?

281 詩子

282 花音

そんな世界なら……私はこの世界からあなたを逃がすわ。

◆花音、懐からナイフを取り出す。

283 詩子

!、……私を殺すの?

284 花音

本当の気持ちを言って。

285 詩子

え、

286 花音

誰かの幸いのために在るあなたではなく、本当のあなた自身の気持ちを!……言って。そしたら私が今すぐ、あなたをここから逃がしてあげる。例えどんな罰を受けることになっても、それは私が今まで見て見ぬふりをしてきた、その罪への罰だわ。

287 詩子

花音……、

288 花音

言って。

289 詩子

290 花音

さあ早く、言って!そうしないと、私の決意は揺らいでしまう……!

291 詩子

……っ、——(たすけ)て……、

292 花音

……っ、

293 詩子

(泣きながら)ッたすけて、花音っ……!

294 花音

っ、詩子、

295 詩子

誰も裏切っていないつもりで、本当は私いつも、自分のことだけで精一杯なの……!人のことを気にする素振りで、いつも自分のことばかり。私は……もう……!自分が怖いの。母のようにはならないと心に決めたつもりで、結局私は母と同じことを繰り返している。自分がどんどん嫌になる、どんどん似ていくの……!あの女のどす黒く粘った血が、ぅッ……!

◆花音のナイフ、詩子の腹にふかぶかと突き刺さっている。

296 詩子

か、のん……、

297 花音

……かわいそう。

298 詩子

……!

299 花音

はじめて見たわ、あなたの涙。ずっとそうやって一人で傷んできたのね、あなたは。

300 詩子

ぐ、うゥッ!(ナイフが更に深く腹を抉る)

301 花音

自分がかなしんでいるっていう事実すら、忘れてしまうくらいに。

302 詩子

ァ、ア……ッ!

303 花音

もう、いいのよ。一人でよく頑張ったわ。罰なら全て私が受けるから、もう……いいの。せめてあなただけでも、この世界から逃げて。そしてこれからはあなたの好きなように、あなたの本当に望むところへ。必ず、行けるから。

304 詩子

……!

305 花音

愛してるわ……詩子。

306 詩子

ありがとう……花音。

***

307 花音

……ッ!(泣き崩れる)

308 詩子

花音……。

309 花音

どうして言ってしまったの……!もう終わりだわ!
これであなたは永遠にこの世界に……!

310 詩子

そう、終わりよ。そしてはじまるの。

311 花音

え、

312 詩子

言ったでしょう?もう魔物のふりなんてしなくていいって。
だって私たちには天使様がついてる。

313 花音

ぁ……、

314 少年

〝全てが終わり、そして全てがはじまる──〟

315 詩子

あの日、言えなかった言葉。今、伝えるね、花音。

316 花音

……!

317 詩子

愛してる。行きましょう、二人で。あなた一人残して私だけこの世界から逃げ出すなんて、私にはできないわ。だからきっと、生き残ってしまったのね。あなたが気づかせてくれた、裏切り、傷み、かなしみだけは、忘れたいから全部忘れて。
こんなわがままな私でも、赦してくれる?

318 花音

でも……っ、(頬を涙が伝う)

319 詩子

そんな顔しないの。大丈夫、花音が言ったのよ?必ず行けるって。どこへでも、どこへだって。天使様のラッパが、私たちを導いてくれる。

320 花音

!、……ええ、行きましょう、詩子。──愛してる。

321 少年

答えは出された。今、全てのはじまりのとき

322 拓人

ま……待ってくれ!

323 花音・詩子

!!

324 拓人

一体どこへ行くっていうんだ。俺と有生だけ残して、お前たちは一体どこへ……!

325 詩子

ここじゃない世界へ。

326 花音

抜け出すのよ、ここから。歪なこの世界から、その扉の向こう側へ。私たちはこの世界に固く結びつけられた鎖から、今、解放された。……拓人。

327 拓人

328 花音

今までごめんなさい。ありがとう。あなたがいてくれたから、私は私の愛する人を本当に救うことができた。でも、そのためにあなたを裏切り、あなたの想いを踏みにじり続けてきたことは、ずっと私の罪となる。忘れない。赦しなんて請わないわ。

329 拓人

……花音。一つだけ訊かせてくれ。

330 花音

なあに?

331 拓人

それがお前の、幸いなのか?

332 花音

!、……ええ。

333 拓人

そうか。なら……いい。

334 花音

ありがとう。

335 有生

……いいのか。行かせてしまって。

336 拓人

好きな奴の幸せが、男の幸せだろ。

337 有生

!、ふっ、そうかもな。……ぁ、(詩子の視線に気づく)

338 詩子

……有生。

339 有生

っ、

340 詩子

毎日お見舞いに来てくれてありがとう。いつもぼーっとしてる私の手を、引っ張ってくれてありがとう。こんな私のこと、好きになってくれて本当にありがとう。

341 有生

……ああ。愛してる。

342 詩子

!、……ありがとう。

343 少年

さて、天使である僕は、彼女たちを導かなくてはならないね。
それじゃあ、僕らはそろそろ行くよ。
君たちもこの世界で、本当の幸いを見つけられるといいね。
また刻が来ることがあれば、どこかで。

344 有生

待て。

345 少年

何?まだ何かあるの?
しつこいなあ、それじゃ女の子にモテないよ?
お・に・い・さ・ん。

346 有生

お前は花音だと、さっきそう言ったな。あれはどういう意味だ。

347 少年

そのまんまの意味だよ。僕は花音。或いは花音の映し鏡。
花音のことなら僕はなんでも知ってる。
花音はね、詩子が全ての記憶をなくしてしまったことで、ある意味では己の願い、つまり詩子をこの世界から逃がすことを、叶えられたと考えたのさ。
だから詩子をこの世界に引き戻そうとする君が、狂おしくて邪魔だった。例えば心の中がタールみたいに、ドロッドロになっちゃうくらいにはね。
そして僕は詩子で、拓人で──有生、君自身でもある。

348 有生

なに……?

349 少年

僕という存在を生み出したのは君たちだよ。そして僕は、君たちの望む通りに在る。君たちの姿を透かして映す、鏡のようにして。

350 有生

つまりお前と出会った時の僕は……復讐に歪んだ怪物だったというのか。

351 少年

そういうこと。訊きたいことはそれだけかな?それじゃあね。

***

352 有生

それは僕たちの生み出した、心を支配する怪物。

353 花音

愛に巣くう魔物。

354 拓人

欲望に突き動かされた獣。

355 詩子

空白の天使。

そう、私たちは誰も、いつでもすれ違うかもしれない。
鏡のようなあの少年、或いは自分自身と。
そして、運命が扉を叩く。
そのノックの音から目を背ければ、また日常に埋没していく。
それだけのこと。

356 有生

彼女たちが僕や拓人と違っていたのは、運命のノックの音に気がつき、そして耳を傾けたことだ。だからその扉の向こう側へ、行くことができたのだろう。
いつからか僕たちは、そんな不思議なときに迷い込んでいたのだ。
いや、迷い込むだって?おかしなことを言ったな。
誰も皆、この世界で迷い続けている。迷い込んで生まれてきて、迷い続けて死んでいく。それなら好きな場所で迷っていた方がいいに決まっている。
……行けよ。お前たちの望むところへ。

357 詩子

ええ、有生。

***

358 少年

君が幸いの為の脱獄、または或る絶望の物語。

THE END.